雑記(2022年下半期に読んだ本)

恒例となりつつある半期ごとの読書録だが、今年は良い小説をたくさん読むことができた。今年の下半期は英・米文学を中心に読むというのをテーマにしていたが、読んだのは以下の8作品。

『ミドルマーチ』(ジョージ・エリオット)(1~4)
Twitterでも何度もつぶやいているが、光文社古典新訳文庫で出ているこの『ミドルマーチ』が今年一番かと思う。ヴィクトリア朝の小説でいえば、ブロンテ姉妹やディケンズそして後に触れるサッカレーなど各々良いところはあるものの、長編小説を冗漫なものにしない構成力や人間の本性に対する冷徹な観察眼、ここぞという緊迫した場面を克明に描き切る描写力などにおいてエリオットは頭一つ抜けているように私は思う。偉い人がもっと宣伝すべき小説。
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『フラッシュ』(ヴァージニア・ウルフ
ヴァージニア・ウルフの書くものはいつも良い。飼い犬を主人公とした小説なので、気軽に読めるといえば読めるのだが、色々なところで書いているとおりウルフの感受性は異常な繊細さなので、きちんと読めば読むほど息が詰まる。

『虚栄の市』(ウィリアム・サッカレー)(1~4)
ヴィクトリア朝時代に生きたディケンズと同時代人(一歳差)だが、下~中流の庶民を描いたディケンズと異なり、サッカレーは貴族や富裕な商人や軍人といった上流階級の俗物っぷりを描くことを得意とした作家で、『虚栄の市』("Vanity Fair")も上流階級に属する、あるいは上流階級に受け入れてもらおうとする俗人達を風刺するような場面が多数出てくる。自分の読書経験の中では19世紀半ばの英国における富裕層の生活ぶりや関心事について詳細に描いたものは読んだことが無かったため、当時の風俗を知ることができたという意味で意味のある読書だったと思う。ただ人物造形の深みやプロットの緻密さにおいて、19世紀に英国や大陸欧州において綺羅星のごとく出現した近代小説の巨匠達には遠く及ばない。

ゴドーを待ちながら』(サミュエル・ベケット
ベケット?あぁ『ゴトーを待ちながら』なら読んだことがあるよ、不条理演劇ってやつだよね。」というセリフを言うために読んだことは認めねばなるまい。やっぱり私はヨーロッパ近代に完成をみたあの小説というやつこそが好きなのである。あと私は、基本的に経験不足もあって戯曲がよくわからない。いまのところ私が戯曲で心から好きだと言えるのは渡辺守章訳のラシーヌだけかもしれない。芸術への愛は訓練できるので精進したい。

怒りの葡萄』(ジョン・スタインベック)(上)(下)
月並みな言い方だが、苦難の中で生きる人間の神聖さを感じる本。1930年代の米国・中西部の大草原地帯では、入植した白人が過剰に開墾を進めたことによってダストボールと呼ばれる強大な砂嵐が発生し、多くの土地でその後農業が崩壊した。この物語の主人公一家も耕作が不可能となったオクラホマの農地を捨て、仕事があるという噂のあったカリフォルニアに一族で移住を企てるのだが、その道中やカリフォルニアにたどり着いてもなお容赦なく苦難が降りかかる。聖書の出エジプト記になぞらえられるような、絶望的な状況にさらされながらも不屈の精神で逆境に立ち向かう人間たちの崇高な姿というのがこの小説の最良の部分と言えるだろう。

重力の虹』(トマス・ピンチョン)(上)(下)
ピンチョンは『競売ナンバー49の叫び』はかなり愉快に読めたが、『重力の虹』はそれと比較にならないほど難解だと言われているようなのでかなり身構えて読んだ。実際、小説の全体像を辻褄の合った形で理解しようとすると相当難儀するが、たとえばジョイスの一部の小説のように、そもそも文意がとれない(ない)ような類の難解さではない。語られる物語が一々情報過多で、鮮明な映画のカットのような描写がバシバシと切り替わるので読んでいて疲労はするものの、結構没頭して読み進められたりする。正直なところこれをもう一回読むのはあったとしてもだいぶ先になると思うが、その前に『逆光』は買ったのでまた近いうちに読みたいと思う。

『頼むから静かにしてくれ』(レイモンド・カーヴァー)(上)(下)
村上春樹による翻訳の短編集。人並みに歳をとり、まだたそがれるには早いもののそうは言っても徐々に人生の可能性が狭まっていき、小さな失望と諦念が日々を満たしていく、という中年の危機の最中にいる自分としては、ぐさっと刺さるものが多かった。短編小説は自分には難しく、うまく頭を整理できていない。ヘミングウェイサリンジャーの短編についてどう思うか、あるいはジョイス(『ダブリナーズ』)、あるいはモーパッサンと比べてどうなのか、みたいなことをうまく言葉にできないでいる。もっと言えば、芥川や川端の『掌の小説』などはまた質的にも系譜的にも異なるのであろうが、正直なところ短い作品は仮に気に入ってもうまく記憶が持続しない。今後の課題。

ノルウェーの森』(村上春樹)(上)(下)
30代半ばにして『ノルウェーの森』を初めて読んだ。自分としても読み時を逸したので読まなくてもよいのでは?と思っていた節もあるのだが、ゆくゆくは村上作品もいくつか読みたいと思っているのでまずはこれを読むことにした。ちなみに村上春樹を読もうとちょっと思い始めたのはこれまで手薄であったアメリカ文学の作品に少しずつ触れ始めたことによる。さて、そしてこの作品だがよく言われる喪失感がどうのこうのみたいな話はピンとこない。男女限らず人の気持ちはわからないものだし、孤独への恐れや他人への執着心のようなものが若い性欲と後ろで手を組んで、他人の中に過剰な内面性をでっちあげたうえにそれを欲望する、みたいなあるある話かなと思う。無駄を削った方が美しいという規範を押し付けるとすると、脇役の女性の自殺は余計かなと思った。

以上が小説。以下は駆け足に紹介すると、人文系の本は以下のとおり。
『小説読解入門 - 『ミドルマーチ』教養講義』(廣野由美子):ミドルマーチの翻訳者廣野先生による解説本。ミドルマーチに感動した人、あるいはミドルマーチを読もうか迷っている(ネタバレを気にしない)人向け。
『小説読本』、『三島由紀夫のフランス文学講座』(三島由紀夫三島由紀夫の小説に関するエッセイ。申し訳ないが意味のよくわからないところはすっ飛ばして拾い読みした。ラディゲの偏愛ぶりは興味深い。『ドルジェル伯の舞踏会』、そこまで超すごいとは思えなかったのだが、再読してみたい。
『批評の教室』、『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』(北村紗衣)Twitterで何かと話題の先生ですが、少なくともこの2冊はとても面白かったのでおすすめしたい。これらの他にもう一冊積んである。
『読者はどこにいるか』(石原千秋:申し訳ないがいまひとつ。おすすめできない。この人の本であれば、だいぶ昔の本だが『大学受験のための小説講義』の方がユニークで面白い。

そして、今年の重要テーマは科学史。人間が世界を理解する方法がどのように変わっていったのかというのももう少ししっかりと理解したいというモチベーション:
『若い読者のための科学史』(ウィリアム・バイナム)、『科学哲学への招待』(野家啓一)、『科学の方法』(中谷宇吉郎)、『科学史・科学哲学入門』(村上陽一郎)、『生物学の歴史』(アイザック・アシモフ)、『進化論の進化史』(ジョン・グリビン、メアリー・グリビン)

また、科学史の本を読むにあたって大学初級の教科書を三冊ほど読み直した。こういう本を読むのは駒場にいたころ以来かしら:
『考える力学』(兵頭俊夫)、『電磁気学 I』『電磁気学II』(長岡洋介)

一般向け自然科学・工学系の本としては乱読だが以下の本を読んだ:
『がん免疫療法とは何か』(本庶佑)、『免疫の守護者 制御性T細胞とはなにか』(坂口志文)、『新しい免疫入門』(審良静男・黒崎知博)、『2030 半導体地政学』(太田泰彦)、『次世代半導体素材GaNの挑戦』(天野浩)、『地球の未来のために僕が決断したこと』(ビル・ゲイツ

冊数にして、39冊。上半期と合わせて2022年の読書は69冊。