半年に一度の読書メモ。何を読むかについてそれほど厳密にテーマ設定しているわけではないものの、なんとなく今年はこの辺を読もう、今月はこの数冊を読もうというような方向性は持つようにしている。小説で言えば、最近は「今の自分がいる場所に近いもの」というのを一つのテーマとして設定している。戦後から現代にかけて国内で流行ったもの(『太陽の季節』、『なんとなく、クリスタル』、『限りなく透明に近いブルー』、『JR上野駅公園口』)、また、海外の小説でも『素粒子』(ウェルベックは初めて読んだ)や台湾文学の『自転車泥棒』など。三島由紀夫などのごく限られた作家を除けば、戦後から現代にかけての作品を意識的に読もうというのは自分にとっては新しいテーマで、これまで18世紀後半から20世紀初にかけての近代文学を最も好んで読んでいて、それより古いものは読んだとしても、それより新しいものの優先順位は意識的に落としていた。現代の作品は駄作にあたるリスクがあるという実際的な理由もあるけれど、それ以上に私にとって文学は、人間との、あるいは自分自身との知的距離を保つのに、あるいは想像力が羽ばたくのに必要な場所を確保するために必要不可欠なものでもあるので、自分の生きる時代・場所に肉薄しうるものはあえて避けるようにしていたというのもある。(だから三島由紀夫は読めるのだ。)ところが昨年『失われたときを求めて』を読んで、プルーストの自分の生をなんとか言葉で捕まえておこうとする必死な姿を見て以来、そろそろ自分のための言葉を探すことも考えなければいけないのではないかという気持ちになりつつある。最近の小説を読んだからといって自分用の何かが見つかるとは思っていないが、そんな問題意識のもとでのテーマ。
あとは、年初に『テヘランでロリータを読む』を読んでから、もう少し英文学(英語文学)を読もうというのもテーマにしている。ヘンリー・ジェームズの『デイジー・ミラー』と『ワシントン・スクエア』やアメリカ文学ど真ん中を再読のものも含めてサリンジャー、フィッツジェラルド、ケルアックなど(『ライ麦畑でつかまえて』、『ナイン・ストーリーズ』、『オンザロード』、『グレート・ギャツビー』)。またもう少し最近のポール・オースターの『ガラスの街』、『幽霊たち』。このあたりは、冒頭でテーマとして書いた「現代の小説」の中ですっぽり私の読書経験から抜けていてほぼ全く読んだことのない村上春樹もちょこちょこと読んでみようという計画の準備でもある。時代は少し前後するが、あとは『ダブリナーズ』、『1984年』、『すばらしい新世界』も読んだ。ディストピア小説の二冊はいずれも非常に面白かった。
小説以外では、関心の高いテーマとして科学史と科学技術史(と関連する産業史)があり、このテーマでこの半年で読んだのは『科学技術の現代史』(佐藤靖)、『科学の社会史』(古川安)、『イノベーションのジレンマ』(クリステンセン)、『文系と理系はなぜ分かれたか』(隠岐さや香)、『1000ドルゲノム』(ケヴィン・ディヴィーズ)、『近代日本150年』(山本義隆)、『化学の歴史』(アイザック・アシモフ)など。山本義隆の科学史の本はだいぶ溜まっているのでどこかで一気に読みたいと思っている。山本義隆の本に最初に出会ったのは高校物理の『新・物理入門』だが、物理選択だった人はあれを読んだ人も多いのではないだろうか。
人文系の本だと、Twitterで流れてきて知った『ナターシャの踊り(上・下)』は迷わず買って結構すぐ読んだがこれは非常に面白かった。1703年のピョートル大帝のペテルブルク建設(ロシアの西欧化)から、1962年のストラヴィンスキーの亡命先からの一時帰国(ボリシェヴィキ革命による芸術家の亡命とその雪解け)までの250余年間にわたるロシア文化史。その他読んだ本は、谷崎潤一郎の『文章読本』、水村美苗の『日本語で書くということ』、『能 - 650年続いた仕掛けとは』(安田登)。
合計でちょうど30冊。冊数の目標は設定していないが、年間100冊読むのは仕事をしている限り難しそうである。