雑記 (2021年下半期に読んだ本)

少し気が早いが読みかけの本はいずれも年をまたぎそうなので、少し早いが恒例の読書記録の2021年下半期版を投稿する。今年の読書で最も自分にとって重要だったのは何よりプルーストの『失われた時を求めて』全14巻なのだが、予復習がてらその前後に関連する本も数冊読んでいる。『失われた時を求めて』の全巻読了前に読んだのは以下の新書2冊で、いずれもこの小説の翻訳も手掛けている一流のプルースト研究者が書いた本なので内容は非常に良い。テーマがコンパクトに解説されているので、小説そのものを読むつもりはないがどういった内容かくらいは知りたい、というような人にはおすすめできる。

また、関連本のうち本作読了後に読んだのは以下の2冊。

これら2冊は面白かったのだが、どちらかと言うとあの小説を全巻を読破した人間が満足感(とちょっとした優越感)に浸りながら、確かにこういう部分があったな、なるほどこういう読み方もあるね、といった具合に楽しむ本だと思う。個人的には『プルーストと過ごす夏』は文学者や哲学者、美術史家などの7人が各々の専門やプルーストの読書経験を踏まえたエッセイを書いており面白かった。またちょうど文芸雑誌の文學界が2021年10月号で「プルーストを読む日々」という特集を組んでおり、14人の書き手が岩波文庫版の本作全14巻について一人一巻ずつ担当して書いたエッセイが掲載されていたのでそれもざっと目を通した。実はまだ他にも2, 3冊関連本は積んだまま残っているのだが、これは来年以降気が向いたら読もうと思う。

小説以外の読書については、今年は芸術史や美学に関するものが多かった。芸術について個人的な思い出や考えたことの整理は近々文章にまとめようと思っている。入門的な芸術史の本として読んだのは以下の4冊。『近代絵画史』の上巻は上半期に読了した本の中に入っている。岡田暁生の本はいずれも面白くすっかりファンになったので他にも数冊買い込んでしまった。最後の『現代美術史』は丁寧な入門書なのだがいかんせん現代美術は独特なので後半部分は流してしまった。

美学については上半期に小田部先生の『美学』や『西洋美学史』を読みながら都度カントの『判断力批判』やアリストテレスの『詩学』を拾い読みしながら考え事をしていた。下半期は美学についてはあいかわらずカントをたまに気が向いたときに読み返したり、ヒュームのエッセイなどを読みながら、それに加えて以下の本を読んだ。

個人的には第八章「あなたは現代派?それとも伝統派?」の議論に興味があって、勢いでダントーグリーンバーグの本を買ってしまったもののそこまで手が回らず、積読化。一方、階級と趣味判断の関係について論じており、カントの『判断力批判』の批判でもあるブルデューの『ディスタンクシオン』は読んだ。

正直なところ、社会学のプラクティスにあまり興味がないのと文章がやたら読みづらいのとで、主にいわゆる趣味判断に関する議論が整理・要約されている最初の「趣味判断の社会的批判」と、カントの『判断力批判』批判が展開されている最後の付録「追記「純粋批評の「通俗的」批判のために」を気合いを入れて読んで、社会学的な理論構築的な部分やアンケート調査などによる実証的な検証の部分は流して読んでしまった。この本は面白いものの、思うところは色々とあるのでそれはまた別途文章にしたい。ここで紹介されているデリダ判断力批判の読解にはちょっと興味が湧いたが、たぶん沼なので手は出さない。

以上と関連するところで、美学や趣味論だけでなく現代のコンテンツ論にも関心が湧いてきたので東浩紀の以下の本2冊と、先行研究的位置づけの本を1冊読んだ。あとは、『ディスタンクシオン』はフランスにおける階級の話なので、では戦後日本では教養や文化資本についてどういった議論の整理が可能なのか、的な関心から『教養主義の没落』を読んだ。

東浩紀の本を初めて読んだけれど、議論の展開が上手だし手際が良いなと思った。そもそも取り上げられているコンテンツについて私に知識や消費体験の蓄積がかなり乏しいので詳しければもっと楽しめただろうとは思う。理屈を追う上で必ずしも必要ではないが。

そして、最近能をちゃんと観ようと思い立ったので色々と本を買って勉強をしようと思っている。大学生の頃何度か行って好きだったのだが、ずいぶんとご無沙汰している。年末に予定があるし、来年は複数回行きたい。

著者の松村栄子は1991年に芥川賞をとっている作家なだけあって文章がとても上手で、能への愛情が伝わってくる。

冊数を数えても意味はないのだが、2021年は合計41冊。年間100冊近く本を買ってしまうので、部屋の積読は増える一方である。