雑記

芥川賞受賞作品は滅多に読まないのだけれど、柴田翔の『されどわれらが日々』(1964年受賞) は読んだことがある。最近読み返したわけでもないので筋はほとんど忘れてしまったのだが、昨日ふと読後感だけ思い出した。ゲーテの『ファウスト』の講談社文芸文庫の訳者はその柴田翔で、彼の翻訳はとても気に入っている。彼は東大の工学部に進学したもののその後文学部のドイツ文学科に転学し、そのまま作家・ドイツ文学者になった。自分は理系で入学してそのまま理系の学部を出たけれど、駒場にいるあいだなど特に、文学以外やりたくないと心の中で駄々をこねていた時期もあったので、実際に転学してその道で一定の成功を収めた彼をかっこいいなと思っていたりしていた。とは言え私は転学するわけでもなくそのまま大学院まで進み、なぜか今はサラリーマンとしてあくせく働いており、普段はろくに本も読めないというありさまなので、もはやうらやましがる資格もないし、今も昔も変わらない自分の節操のなさにたまに悄然とする。犬のように働くことは、科学や文学への憧れも執着も能力も凡人並であったという不愉快な事実を忘れるにはちょうど良いし、偏執狂になりたくともなることができない生来のバランス感覚は仕事におおいに役立っていると思う。結局なるようにしかならないのだろう。

『されどわれらが日々』は50年代、六全協 (日本共産党の方針転換。武力による革命の放棄。) を経験したインテリ学生らの青春群像劇、とでも要約されるのだろうけれど、正直なところ学生運動の背後にある思想やらなんやらはあまり私の興味を引かなくて、あぁそういうのが流行った時代なんですねと思うくらいだったが、やたらセンチメンタルなのは作者の若さゆえのなんとかということで差し引いても、全体に染み渡る理屈っぽさはなんだか滑稽というか興味深いなと思った記憶がある。理屈っぽく語ることがクールだった時代に青春を描くとこうなるんだなという薄っすらとした感想である。例えば主人公の男とその婚約者の女は最後、女が自殺未遂をした後に婚約を解消して別れるのだが、分厚い手紙で説明されるその女の動機もいかにも「理屈」で、いやそんなことで人間死にたいとか別れたいと思わないでしょう、と突っ込みたくなる。「結局僕の死は自然死です。人間思想だけで死ねるわけではないのですから」みたいなことを書いた太宰治の言葉の方が幾分かよく理解できるし、あの手紙に並べられていた理屈よりも、寝ている女の口元から覗く歯の汚れがたまらなく嫌で縁を切った、みたいなことを書いた永井荷風の方が人間関係の機微をよほどよく描けているとも思う。荷風は玄人の女性としか遊ばなかったというからそれはそれで一面的な気もするけれど。

ここまであたりが確か読んだ時に感じたことだったと思う。なのだが、あらためて考えてみると、死んだり別れたりする理由が理屈の人間が存在してもおかしくはないし、そういう人間がいるのであれば、またそういう人間の類型が語るに値するのであれば、理屈に導かれるような小説がより現実を描き出すのにふさわしいこともあるのかもしれない。柴田の『されど…』は60-70年代の若者のバイブルだったようだが、その当時は私が学生をしていた2000年代半ばよりも遥かに思想のうねりは大きく、この小説はそれに飲みこまれ漂流した若者への鎮魂歌になったのだろう。この小説で描かれるのは当時の日本人のごく一部に過ぎない東大の左翼学生だが、理屈の得意な彼らが時代の様相をよくあらわしていたからこそ、このような小説も流行ったのだろう。だとすると、筋書きを観念にはめ込んだような小説に対して私が感じる反発は、自分には理屈が少し得意なことくらいしか取り柄がないのに、自分の生きる時代はそういったタイプに象徴されるような時代ではないということへの嫉妬というか八つ当たり的な感情の裏返しだったのかもしれない。理科の教科書にも歴史の教科書にも国語便覧にも自分の名前が載らないことがいよいよはっきりしてきた中年の入り口に立って、語られるべき時代の語られるべきタイプの人間ですらなかったのかもしれないということまで消化しなければいけないとすると、また週明けからあくせく働く必要がありそうだ。